ウズベキスタン旅行記

サマルカンド編 @

  住所がわかりません

 お昼過ぎにサマルカンドに到着。この街もまた、市街地まで6Kmだが、6Kmの怖さを充分に学習した直後なので、最初からタクシーのお世話になる。事前交渉の結果10ドルで話をまとめたが、明らかに高い。一応高いと言ってみたが、相場がわからないので自信を持って高い!と言い切れなかった。サマルカンド観光の中心地、レギスタン広場まで行ってもらうことにしたが、途中で何回も25ドルで市内を案内するぜ!と言われちょっとしつこかった。車を降りると、3方をイスラムの神学校に囲まれた、ガイドブックで見たとおりのレギスタン広場が眼前に広がっている。見応えはじゅうぶんだが、朝食の時間を犠牲にして地下鉄に乗り、朝から何も食べていないので露店の並ぶ一角へ。揚げパンみたいのとマントゥ(たまねぎ肉まん)を食べる。サマルカンドの宿泊ホテルは、ガイドの地図に載ってなく、住所を聞いていただけなので警官に尋ねてみる。しかし、よく見るとストリートまでで、番地が書かれていない。これじゃ俺にもわからないよ、と警官も呆れ顔。(ウズベキスタンの各観光地は、外国人の旅行者が激増していて、次々できるペンション風の小ホテルまでは警官も把握できていないらしい)一応、電話番号も書いてあったので、ホテルに電話してくれて、何とか場所はわかったが、ちょっと遠いらしい。警官が交番に遊びに来ていた青年に、送ってやってくれ、と頼んでくれたので車に乗せてもらいホテルに着いた。

  サマルカンドでコンニチワ  

  カメラだけを小バッグに入れて、先ほどのレギスタン広場へと向かう。ホテルからも歩いていけそうな距離なので、翌日以降の試し歩きと夕食の調達をかねて歩く。30分ほど行くと青いドームが印象的な、グリ・アミール廟が見えてきた。ここは14世紀に、中央アジアで強大な勢力を誇ったティムール帝国の主、ティムールの墓として知られている。中庭をまわって外に出たらボンボン、ボンボン(飴玉)という合唱とともに、5、6人の子ども達に囲まれてしまった。無い、と言ってもついてくるので最後は走って逃げた。さらに歩いていくと、食料品屋さんがあり、夕食を買いに中に入る。パン類と飲料しかない店だったので、パンを買い、各種酒類も売っていたので、ビールも買っていくことにした。以前インターネット上で、ウズベク産のビールはマズいと紹介されていたが、せっかくだから地元の味をと思い、サマルカンドビールを3本買った。外は暗くなりはじめたが、レギスタン広場がライトアップされてきれいだったので、ベンチに座り眺めていた。すると、コンニチワ、ニッポンノカタデスカ?という掛け声とともに、2人の青年が話しかけてきた。そのうちの1人はエルキンと名乗り、サマルカンド大学、日本語学科の4年だと言った。エルキンは日常の日本語会話程度なら、問題なくこなせた。もう1人はファルーフといい、こちらの彼は、英語は出来るが、日本語は全く理解できなかった。いつサマルカンドに来たかとか、ウズベキスタンの印象などを聞かれた後で、エルキンが”明日、私のことをガイドとして雇わないか”と、持ちかけてきた。条件は昼食をおごって、もし彼が優秀なガイドだったら気持ちだけくれればいい、とのこと。即決はできないと言ったら、”明日10時に、私はここに来ます、気に食わなければ来なければいい”と言ってきて、そこで解散した。

  ウズベクの家庭で 

 ファルーフの自宅がホテルの近くらしいので、いっしょに帰ることにした。しかし彼は日本語が話せないので、約30分の道のりのあいだ、共通語は英語だった。ホテルに行く途中に彼のアパートがあり、ウチに寄っていかないか、と言ってきた。一般家庭の内部を見るチャンスはめったに無いと思い、よろこんでお邪魔することにした。家にはお父さんとお母さんがいて、ファルーフから旅行者だよ、と両親に紹介されると、何を思ったかお父さんからいきなり”ボンジュール”と声を掛けられた。俺はフランス人か!(しかし、反射的にボンジュールと言い返してしまった自分が悲しい・・・)ちょうど夕食前の時間で、食卓にはスイカ、梨などフルーツの他に、目玉焼きやナッツ、ちぎったナンが食べきれないほど並べられた。シルクロードといえばフルーツとナン。滞在中にはバザールで買い込んで、1度は食べようと思っていたが、一般の家庭で、おなかいっぱいいただけるとは思いもしなかった。ファルーフ以外は英語が話せないので、持参したロシア語のゆび差し会話帳がおおいに役に立ち、写真などを見せてもらいながら、ウズベク家庭との交流を楽しんだ。気が付いたときには2時間くらい経っていて、ホテルに戻ることにしたが、異国の地でのあたたかい歓迎を、俺はいつまでも忘れないだろう。

  評判のビール

 ファルーフ家をあとにして、ホテルに帰ったらすぐに夕方買ったウズベク産のビールを開けるが、飲んでみると評判通りのマズさで、3本も買ったことを後悔する。サマルカンドビールを飲みながら、翌日の計画を立てるが、売り込みガイドのエルキンと、行動をい共にするか考える。結局、1日の行動の半分だけ、しかも、ガイドブックに載っているような遺跡や名所は自分で行き、彼にはサマルカンドの人びとが、普段買い物をするバザールや裏通りなどを案内してもらう、と言う案を考えて就寝。


レギスタン広場 シェルドル・メドレセ
3方をメドレセ(イスラムの神学校)に囲まれた、
スケールの大きなレギスタン広場。
レギスタン広場、3つのメドレセのひとつ。イスラ
ムの教義では偶像崇拝を否定し、人や動物をモ
チーフにすることはタブー視されているが、支配
者が自らの権力を誇示するために、あえて禁が
破られたといわれている。
ティラカリ・メドレセの中庭 ビビハニム・モスク(中庭)
レギスタン広場、ティラカリ・メドレセの裏側。か
つて学生達が使用していた部屋は、土産屋にな
っている。
かつては、世界最大のイスラムモスクだったが、
あまりの大きさのため崩壊し、現在は2代目。修
復に使われたタイルをわけてもらった。
エルキン ファルーフ
レギスタン広場で声を掛けられ、次の日に半日
ガイドをしてもらった。普通に日本語ができる
エルキンの友人。家に招待され、ご両親に夕食
をご馳走してもらった。


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